2023年の記録

第2回教職員学習会を開催しました  1月30日

 亀山市教育委員会との協働事業の一環で、1月30日(月)の15時~17時に第2回の教職員学習会を開催しました。

 市内の昼生小学校に集合して、昨年確認された下庄の地下壕を見学。初めての体験だったので、「こんなに大規模とは思わなかった」と驚かれていて、現地での体験が取り組みへの熱量や好奇心を高めることを実感しました。

下庄の地下壕の北側入り口
下庄の地下壕の北側入り口

 その後、昼生小学校で、市教育委員会と私たちで作っている平和学習のデジタル教材を見てもらい、意見交流をしました。「子どもにも地下壕の迫力を体験させて、そこから授業をしたい」「実践してみて、実践例もデジタル教材に載せていこう」「カリキュラムに位置づけたい」など具体的な取り組みのアイディアが出されました。頂いた意見をもとに、デジタル教材の改善をしていきます。


弘法寺地区で地下壕を確認しました  2月1日

 地域の方から地下壕があったとお聞きしていた下庄町弘法寺地区の山中を2月1日(水)に調査して、1本の地下壕が残っていることを確認しました。この地下壕は海軍が弘法寺地区に宿泊して、トロッコを使って掘っていたことが、弘法寺地区での聞き取りから明らかになっています。

地下壕の内部へ
地下壕の内部へ

 地下壕はY字型をしていて、東西は貫通していましたが、東側入り口は崩落して通れなくなっています。北に伸びる地下壕は約30mの深さがあります。

 近くにはⅬ字型をした地下壕があったこともわかり、もう一つ地下壕だった可能性のある掘り込みも確認できました。

木下町の調査もしました

地下壕の西側入り口
地下壕の西側入り口
内部から地下壕の西側入り口を見る
内部から地下壕の西側入り口を見る

 22年夏のパネル展(エコー会場)で「木下町に地下壕がある」という情報を頂き、1月20日(金)と2月1日(水)に調査をしました。

 壕の北側入り口はかなり大規模ですが、戦争中に作られた地下壕にしては切迫感がなく、違和感を感じました。

 壕は途中で遮断され、横から小規模な壕が南側の入り口まで続きますが、用水路に直結していました。

地下壕の内部
地下壕の内部
壕の北側入り口
壕の北側入り口

 このことから、この壕は用水のためのマンボだと判断しました。

 ただ、途中まで大規模に掘られたのは戦争末期の可能性もあり、地域での聞き取りの必要を感じました。

 貴重な情報を頂きありがとうございました。川崎町の森地区や柴崎地区にも壕があるという情報も寄せられていて、今後調査をしたいです。


協働事業の報告会(平和教材が完成!)   5月14日

 22年度に市教育委員会と取り組んだ協働事業の報告会が5月14日(日)に市民協働センターみらいで開催され、市教委から3名、会から2名が参加しました。

 服部代表のあと、教育委員会の皆さんも報告され、市内の戦争遺跡や列車銃撃についてとても正確に語ってみえたのがすばらしかったです。

「亀山市に戦争遺跡があることは知っていたが、地下壕などに初めて入ったり、証言を聞かせてもらったりしてたくさん学べた」と教育委員会の方が言われたのも嬉しかったです。

 コーディネーターの方からも「官民一体で市内の戦争遺跡の保存と継承を進めたのは全国でも類を見ない。これからも取り組みの継続を」と高い評価を頂きました。

 市教委と一緒に作った平和学習のデジタル教材は、23年度から小中学生は学校のタブレットで自由に見ることができるようになります。

 今のところ学校外では見ることができませんが、教委からデータを頂き、このページでも同じ資料集や証言動画が見れるように、これからしていきます。

 


第3の列車銃撃の証言を確認    7月11日(火)

三重県女子師範学校(現・亀山高校)で軍服を作って保管していたこともわかりました

 亀山での列車銃撃は、大きな被害を出した1945年8月2日の陸軍機P51による攻撃が良く知られていますが、他にもアメリカ海軍機グラマン3機による空襲があったことがわかっています。

 この2回とは別の空襲があったことがわかってきました。

 四日市のタウン誌「You四日市」の伊藤記者の取材で、銃撃された列車に乗っていた方が菰野町にみえることがわかり、7月11日(火)に菰野郷土資料館でお話を伺いました。

 その方は増田信子さんで、当時三重県女子師範学校(現・亀山高校)の生徒で、学校敷地内(陰涼寺山)に軍服を入れるための壕を掘っていた時に足を捻挫して、先生に背負われて津市の病院に行く途中に列車内で銃撃を受けたそうです。

 その時、列車はトンネルの中に退避していて、真っ暗な中で戦闘機の爆音や銃撃音を聞き、怖くて先生にしがみついていたそうです。

 これまでわかっていた2回の空襲はどちらも列車が鈴鹿川鉄橋とトンネルの間に止まっていたことがわかっています。トンネルの中に避難して難を逃れたという増田さんのお話から、これらとは別の空襲があったことがわかりました。

 増田さんが列車銃撃に遭遇した月日や、銃撃した戦闘機の機種は今のところ不明ですが、これから調査していきたいと思います。

 また、増田さんのお話から、三重県女子師範学校の校舎では軍服を製造していたこともわかりました。増田さんは兵隊のカッターシャツのボタンホールばかり作られていたそうです。陰涼寺山に作られていた壕は幅も高さも1間(けん)ぐらいで5本あり、下にさな板を敷いて軍服や生地を入れてあったそうです。終戦の時に、保管されていた新しい反物が生徒に配られ、母親が喜んだというお話も聞かせてもらいました。

ピースフェスタを開催   7月29日(土)~30日(日)

 亀山市立図書館の多目的室と文化情報プラザで、ピースフェスタを開催しました。昨年まではエコーと協働センターみらいでパネル展とブックトークを中心に開催しましたが、今年は移転新築された図書館で紙芝居「はだしのゲン」「みんなで歌おう 心に残る平和の歌」「折り紙やプラバン」などメニューを増やして行いました。

みんなで歌おう 心に残る平和の歌
みんなで歌おう 心に残る平和の歌
紙芝居「はだしのゲン」
紙芝居「はだしのゲン」

 他にも、昨年亀山市教委と一緒に作成し、今年度から市内小中学校で公開されている平和学習デジタル教材の一部を見れるコーナーも作りました。昨年に比べて子どもたちの入場が増えたのが嬉しいです。

 8月2日(列車銃撃の日)の「平和を考える市民のつどい」とともに毎年の恒例行事になるように続けます。


鈴鹿で「亀山列車銃撃」の朗読劇を初上演   12月2日(土)

 12月2日(土)に鈴鹿市のジェフリー鈴鹿で「ジェフリーフェスタ」が開催され、九条の会すずかのコーナー「なんたって平和がいちばん」で、亀山列車銃撃の朗読劇が初上演されました。

 脚本を書かれたのは近藤由美さんで、列車銃撃について詳しく取材をされ、史実にもとづいた素晴らしいシナリオを書いて下さいました。

 今回上演されたのは、わいわいクラブ「えん」の皆さんで、子どもたちも参加し、効果音も工夫されていて、列車銃撃の恐ろしさや理不尽さが伝わりました。

私たちの列車銃撃パネルも展示されました
私たちの列車銃撃パネルも展示されました
わいわいクラブ「えん」の皆さんと、脚本を書かれた近藤さん(左)
わいわいクラブ「えん」の皆さんと、脚本を書かれた近藤さん(左)

 会場には依頼を受けて、当会が亀山市と一緒に作成した列車銃撃のパネルの一部が展示され、列車銃撃の概要や犠牲になった方についてお伝えできました。参加者のお一人はお父様が亀山駅に勤務されていたそうで、お父さまから聞かれた興味深いお話を語って下さいました。

 列車銃撃の朗読劇は、今回のロングバージョン(約8分)の他に、語り主体のショートバージョンもあります。列車銃撃が新しい形で語りつがれることが嬉しいです。

 24年夏のピースフェスタで上演してもらえることも決定しましたので、とても楽しみです。