関の地下工場(鈴鹿海軍工廠 関町防空工場)

 

最終更新は2024年5月3日(金)です。

「証言から」を更新しました。

 

 

 亀山市関町には、東海道五十三次の宿場町である関宿があります。東海道の宿場町でただ一つ宿場全体が残っていると言われ、町並みが保存され(重要伝統的建造物群保存地区)、観光地にもなっています。

 その関宿のすぐ近くに、アジア太平洋戦争の末期に造られた広大な地下工場跡があります。通称「関の地下工場」、正式名は「鈴鹿海軍工廠 関町防空工場」と言います。

 

 地下工場の掘削は間組が行い、多くの朝鮮人飯場が作られました。

 操業は1945年4月で、鈴鹿海軍工廠の機銃部が完成した2本の壕で二式十三mm機銃を作りました。夏には鈴鹿海軍工廠の火工部も、機銃部とは別の壕に弾を作る機械を搬入しましたが、操業前に敗戦になりました。

 

 戦争中に掘られた14本の地下壕は、内部が崩落して危険ですが、大半が残っています。周囲には、水を汲み上げるポンプ施設、汲み上げた水を溜めるコンクリート製の水槽、お湯をわかす汽缶場(ボイラー)の煙突、風呂の基礎、軍用道路跡など多くの遺構が残っていて、地下工場としては三重県屈指の戦争遺跡です。

 

 2023年度中には亀山市が説明板を立てる予定で、とても嬉しいです。

 地下壕の入り口には亀山市が柵をしてあります。内部は崩落が進んでいるので、入るのは危険です。その中で、発電室用地下壕1本は比較的安全と考えられますので、安全確認調査と必要な補強工事の後で市民に公開してもらえればと考えています。

 

 このページでは、関の地下工場の歴史や現状についてお伝えします。

「亀山市の戦争遺跡マップ」より転載
「亀山市の戦争遺跡マップ」より転載

①地下壕 ②コンクリート製地下水槽 ③汽缶場(ボイラー)の煙突 ④ポンプを入れたコンクリート容器