亀山列車銃撃

最終更新は2023年8月15日です

23年8月15日 「ホーム」を更新しました。


1945年8月2日の列車銃撃

銃撃現場のレンガ橋(亀山市天神北)。レンガ橋の北側(写真では左側)で蒸気機関車が停まりました。列車の進行方向は左から右です。
銃撃現場のレンガ橋(亀山市天神北)。レンガ橋の北側(写真では左側)で蒸気機関車が停まりました。列車の進行方向は左から右です。

 1945年8月2日(木)の12時10分ごろ、亀山駅を出発した鳥羽行き列車がアメリカ陸軍の戦闘機P51の銃撃を受けました。広島に原子爆弾が投下される4日前のことです。P51は3機飛来して、このうちの2機が列車を銃撃しました。

 列車は銃撃を受けて、鈴鹿川鉄橋を渡ってすぐのレンガ橋付近で停車。2機のP51は2~3回の銃撃をおこない、多くの死傷者が出ました。

 私たちは2009年2月から本格的な調査を開始し、その成果を書籍や集会などで発信してきました。2017年から銃撃現場近くの中村公民館(亀山市天神北)で犠牲者の法要を始め、8月2日の午前中に毎年続けています。また、2019年8月2日には中村公民館の前に列車銃撃を伝える説明板を設置しました。これは地域の皆さまのご理解とご協力のおかげと感謝しております。

 犠牲になられた方で、現在お名前がわかっているのは9名です。地域では「少なくとも40人以上」と伝えられていて、正確な犠牲者数はまだ不明です。1人でも多くの方を記名板に記したいと思っておりますので、情報をお寄せ下さい。

別の列車銃撃①

 聞き取り調査で、8月2日とは別に海軍機による列車銃撃があったことも明らかになりました。

 お昼過ぎに鈴鹿川下流に沿って低空で飛来した2機のグラマンが、同じ鉄橋付近で亀山駅を出た列車を銃撃しました。

「黒い飛行機(グラマン)が2機、川下から低空で飛んできた」という目撃談が共通していて、銃撃があったことは確実です。

 日時は特定できていませんが、日英の空母群が東海地方に接近するのは7月下旬ですので、おそらくその時期に銃撃があったのだと思います。

そして、その時の被害が比較的少なかったために、その後に起こった8月2日の銃撃の記憶が強く残ったのでしょう。

 海軍機による銃撃も、これから調査が必要です。

 

別の列車銃撃②

 さらに別の列車銃撃があったこともわかっています。

 その銃撃では、列車は下庄のトンネル内で空襲を回避しています。列車内では戦闘機の爆音や銃撃音が聞こえて恐怖を感じたそうです。

 国鉄では当時、銃撃に遭った時はトンネル内に避難し、乗客が煙に巻かれないように蒸気機関車先端の煙突部分だけをトンネルの外に出して停車するマニュアルがありました。この銃撃の場合、列車はマニュアル通りに退避したことがわかります。

 この銃撃の月日や、攻撃した戦闘機の機種は今のところ不明です。(2023年7月11日の記事をご参照下さい)