1945年8月2日(木)の12時10分ごろ、亀山駅を出発した鳥羽行き列車がアメリカ陸軍の戦闘機P51の銃撃を受けました。広島に原子爆弾が投下される4日前のことです。P51は3機飛来して、このうちの2機が列車を銃撃しました。
列車は銃撃を受けて、鈴鹿川鉄橋を渡ってすぐのレンガ橋付近で停車。2機のP51は2~3回の銃撃をおこない、多くの死傷者が出ました。
私たちは2009年2月から本格的な調査を開始し、その成果を書籍や集会などで発信してきました。2017年から銃撃現場近くの中村公民館(亀山市天神北)で犠牲者の法要を始め、8月2日の午前中に毎年続けています。また、2019年8月2日には中村公民館の前に列車銃撃を伝える説明板を設置しました。これは地域の皆さまのご理解とご協力のおかげと感謝しております。
犠牲になられた方で、現在お名前がわかっているのは9名です。地域では「少なくとも40人以上」と伝えられていて、正確な犠牲者数はまだ不明です。1人でも多くの方を記名板に記したいと思っておりますので、情報をお寄せ下さい。