2022年の記録

列車銃撃が小説で描かれました    22年1月

 亀山市で発行されている文芸個人誌『遭』の第13号(22年1月)に、木原しうさんが「風呂敷包みは小さかった」という小説を書かれました。

 この小説は、亀山で1945年8月2日に起きた列車銃撃で象徴的に語られている「首のない赤ちゃん」のご遺族の証言をもとに、赤ちゃんのお兄さんを主人公にして描かれています。

 創作に当たり、当会からは「後世に間違ったことが伝わらないようにしたい」という思いで、たくさんの無理をお願いしましたが、木原さんはとても真摯に表現を工夫して下さいました。

「首のない赤ちゃん」として語られていますが、実際には赤ちゃん(髙阪光雄さん)の首は残っていて、後頭部が銃弾によって欠けていたことも正確に描かれています。

 木原さん、どうもありがとうございました。

 この本は1月28日(金)に、ご遺族にもお届けしました。

 

『遭』を購入されたい方は、木原さん(0595-82-4930)までお問合せ下さい。

三寺町で海軍の地下壕を確認しました  22. 2.24 、2.28.

「亀山市の戦争遺跡マップ」を見られた三寺の方から、「三寺にも地下壕がある」という情報を頂き、22年2月24日に調査をして、全長約22mの地下壕を確認しました。

 2月28日に第2回の調査をして、地下壕の東側に2ヶ所の地下壕の痕跡を確認。同行して下さった地域の方々から戦争中のお話を聞かせて頂きました。

 三寺の三寶寺には戦争末期に海軍の兵隊が駐屯していて、お寺の前の土地(現在のゲートボール場)にトラックで魚雷を何度も運び、スクリューを回したりして検査していたそうです。トラックが通るために道路も拡張されました。

 地下壕は魚雷を隠すために掘られていましたが、完成せずに終わったそうです。

 地域の方は、子どもの時に地下壕の中でキャッチボールをしたり、工事用のトロッコで遊んだりしたと話して下さいました。

 30年前から「三寺で魚雷を隠していた」というお話を聞いていましたが、今回の調査でほぼ全容がわかりました。三寺の皆さん、どうもありがとうございました。

C51 63号機の画像がさらに確認されました 22.3.23.

この本をお探し下さい。48ページです。
この本をお探し下さい。48ページです。

 伊勢市の川井和彦さんからの情報により、1945年8月2日に亀山で銃撃された蒸気機関車C5163号機の写真が新たにもう1枚見つかりました。

 この写真は『蒸気機関車EX』48号(イカロス出版 2022年)の48ページに掲載されているもので、撮影は植田純朗さんで、現在は西村勇夫さんが所蔵されています。

 キャプションによると、1954年2月に亀山駅で撮影されたものだそうで、列車銃撃の時と同じく、鳥羽行き列車を牽引しています。出版物の画像を転載することは禁じられているそうですので、このページに掲載できませんが、とても貴重な写真です。

 この鉄道趣味誌は季刊発行で、22年3月に春号として出版されています。2500円とやや高額ですが、関心のある方はお買い求め下さい。

 

弘法寺地区の調査 22.3.25.

 地域の方から弘法寺地区にも地下壕が掘られていたと連絡を頂き、3月25日に調査をしました。

 地域の方によると、その方が子どもだった頃に弘法寺地区の南の山林に地下壕が1本あったそうで、池の辺りからでも見えていたそうです。

 地下壕は崩落していましたが、その場所を特定することができました。また、その付近に別の地下壕の痕跡らしきものを確認できました。

 さらに、地下壕の工事に使われていたトロッコのレールが1本だけ、保管されていることもわかりました。

 トロッコのレールはほとんど残っていないので貴重です。

 地域の方によると、地下壕の工事現場に残されていたものを戦後に地区に持ち帰り、みんなで使ったそうです。

 2月の三寺町に続き、昼生地区でかなりの地下壕が掘られていたことが、だんだんわかってきました。これからも調査を進めます。

 

下庄地区で海軍の地下壕を確認しました  22.4.18.

 地域の方から地下壕が残っているという情報を頂き、4月18日に調査をしました。

 3月25日に調査をした弘法寺の地下壕から北東300mの谷に、全長約30mの地下壕がほぼ完全に残っているのを確認。両側が開口しているトンネル型の地下壕です。

 その方の家(弘法寺地区)には海軍の兵隊2名が宿泊して壕を掘っていたそうで、他の方からの証言でも、弘法寺地区にはかなりの人数の海軍が駐屯していたようです。

 また、弘法寺地区の山林に、今まで確認されていなかった地下壕が掘られていたことも確実になりました。何の目的で地下壕が掘られていたかなど、詳しい事はまだわかりませんが、貴重な戦争遺跡が次々と確認されているのが嬉しいです。

 これからも調査を続けます。

 

 

2022 パネル展とおはなし会  22.7.23~24.  亀山エコー

昨年のパネル展(エコー2階「夢ひろば」)
昨年のパネル展(エコー2階「夢ひろば」)

 今年も戦争遺跡と列車銃撃についてのパネル展をエコー(2階「夢ひろば」)で開催します。

 日時は7月23日(土)と24日(日)でどちらも10時~17時です。

 列車銃撃と関地下工場のパネルは、これまでのを改訂し、さらに新しいパネルを加えました。

 また、今年初めて確認された三寺と下庄の地下壕のパネルも新しく作りました。

 今年の企画として、平和を考える絵本の展示やおはなし会をします。お二人の方が絵本のブックトークや読み聞かせをして下さいます。どうぞお越し下さい。

 

 なお、パネル展は「市民協働センターみらい」でも展示することになりました。長い期間、展示をしてほしいというお声を頂き、嬉しいです。展示期間は7月28日(木)~8月15日(月)の予定です。

2022 平和を考える市民のつどい  22.8.2.  中村公民館

 今年も8月2日(火)に、亀山列車銃撃の「平和を考える市民のつどい」を開催しました。

 1945年8月2日に亀山で列車が銃撃され、多くの犠牲者が出ました。今年で77年目です。2017年から始めた追悼法要は今年で6年目になり、マスコミにも注目され、市民に根づいてきています。

 次の日程でおこないました。

 9:30 開会行事、犠牲になられた方の追悼法要とお話

10:00 説明板前でご来賓あいさつ、説明板などの説明

10:30 終了。銃撃現場の見学(希望者)

改訂した説明板(中村公民館前)
改訂した説明板(中村公民館前)
中村公民館での追悼法要
中村公民館での追悼法要

 今年は、これまでわかったことをもとに、説明板を改訂しました。また、銃撃された蒸気機関車の写真を提供して頂きましたので、説明板に加え、デザインも一新しました。

 つどいでは、新しく確認された昼生地区(三寺、下庄、弘法寺)の地下壕についても紹介しました。

 そして、今年初めてご遺族が参加して下さったこともとても嬉しかったです。

 新しくなった説明板をぜひご覧下さい。 


2022 パネル展  22.7.28~8.15.  市民協働センターみらい

 今年も戦争遺跡と列車銃撃についてのパネル展をエコー(2階「夢ひろば」)で開催しましたが、もっと長い期間してほしいという要望を頂いたので、「市民協働センターみらい」で7月28日(木)~8月15日(月)に追加展示をしました。

 亀山列車銃撃と関地下工場のパネルは、これまでのを改訂し、さらに新しいパネルを追加しました。また、今年初めて確認された三寺と下庄の地下壕のパネルも新しく作りました。

 期間中、たくさんの方に見て頂き、親子連れや夏休みの自由研究で訪れた方もあったそうで嬉しいです。

 特に新しく見つかった昼生の2つの地下壕についてのお問い合わせが多かったです。「三寺の壕には、田んぼで使う耕運機を入れていた」という証言も頂きました。さらなる情報をお待ちしています。


小中学校の先生たちとの学習会  8月26日(金)

 亀山市教育委員会との協働事業の一環で、市内の小中学校の先生たち17名との学習会を開催しました。

 まず、市のバスで鈴鹿海軍工廠関防空工場へ。地下壕を見学し、ここで海軍の機銃が作られたことや、朝鮮人労働者が地下壕を掘ったことなどを学習しました。

関の地下工場
関の地下工場

 その後、歴史博物館に戻り、戦争遺跡をどう学習に生かし、戦争遺跡から何を学ぶかについてワークショップをしました。小中学校別にグループに分かれて話し合いをもち、班ごとの話し合いを交流しました。

ワークショップ
ワークショップ
市のバスで亀山市歴史博物館を出発
市のバスで亀山市歴史博物館を出発

 それから、亀山列車銃撃の現場に行き、中村公民館前に立てた説明板をもとに、列車銃撃について学習しました。

中村公民館前の説明板で
中村公民館前の説明板で

 若い先生が多く、「市内にこんな戦争遺跡があるとは知らなかった」「戦争の事実がわかって良かった」という声が多かったです。15年戦争を学習する時のポイントもお伝えできましたし、参加された方の感想や意見から、これからの協働事業の取り組みを考えるヒントも頂けました。有意義な学習会になりました。


白川小学校で平和学習をしました  11月28日

焼夷爆弾M47
焼夷爆弾M47

 亀山市教育委員会との協働事業の広がりで、11月28日(月)に白川小学校の先生方のご厚意から6年生と平和学習をしました。

 協働事業で撮影するために、桑名市に投下された焼夷爆弾M47を愛媛在住の方からお借りして、この焼夷爆弾が白川地区に投下されたことから平和学習につながりました。

 亀山市内にB29から爆弾や焼夷弾が落とされた記録はほとんどなく、唯一知られているのが白川地区に投下された6発のM47です。

 この6発は、どこかを空襲した帰りにB29が弾倉などに引っかかって残ったのを廃棄したものですが、その中の1発が家に命中して全焼させています。水田に落ちたⅯ47は、爆発で大きなクレーターを作ったこともわかっています。

 学習ではM47や白川の空襲のことをお話しして、戦争の怖さや悲惨さをイメージしました。また、白川地区にM47が落とされた日がわかっていないことを伝え、ぜひ調べて欲しいとお願いしました。家や地域の記録や話から、投下された日が判明すればと願っています。

白川地区の空襲の聞き取り調査をしました  12月19日

 亀山市教育委員会との協働事業で、戦争を体験された方の取材と動画撮影をしています。

  12月19日(月)に、白川地区に落とされた焼夷爆弾M47が直撃して家が焼かれてしまった方のお話を聞かせてもらいました。

 その方は当時小学校1年生でしたが、強烈な体験だったために記憶が鮮明で、詳しく話をして下さいました。これまで、家を直撃したM47は屋根で止まったために爆発せず発火だけしたと考えられていましたが、家の障子や雨戸が吹き飛んでいたそうで爆発していたことが新しくわかりました。

 この証言をはじめ、これまで教育委員会の方が撮影して下さった動画は、来年度デジタル教材として自由に子どもたちが学校で見れるようになります。そのデジタル教材のお披露目を兼ねた市内教職員の学習会も23年1月30日(月)に開催される予定で楽しみです。